-kemurikikaku-

ママチャリに乗った小っちゃいオッサンの日記

自分で決めたこと

 

しかし日本人は正しい。

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ラジオ番組にて、傘をさすのが嫌だという伊集院光さん。
 
理由はその見た目にあるらしく、
 
 
皆が棒を持って歩いてんだよ?なんか先っぽクルンッてなってるんだよ?
 
 
想像してみる。
 
 
 
 
 
笑いながら棒を持って歩く人。
 
無表情で棒を持って歩く人。
 
泣きながら棒を、歌いながら棒を、
 
すごく辛そうな顔をしてフラフラしながら棒を。
 
自由を満喫する子供達はスキップしながら棒を、
 
ロマンティックに共揃いに歩きながら棒を、
 
病人も子供もすべからく少し棒を天にかかげている。
 
 
 
 
オモロいです。
 
 
 
 
 
 
 
「え?コイツ馬鹿なの?濡れないためだろ。何言ってんの?」 
 
 
 
分かります、正しいです、突然人のうちに来て怒らないで下さい。
 
 
「失礼」
 
 
 
 
 
 
 
欧米やら西洋やらという国家では、雨が降ってもフードを被るとか
 
傘を持たないという事が珍しい事でもないと聞く。
 
彼らは、厳然たる現代人の自分があんな棒を持って歩くのは
 
絶対に嫌だと思っているのだろうか?
 
 
 
 
また、現代人のプライドとは真逆に、 
 
動物だったDNAが確かなら、本来人類は濡れても良かったのだろうとも思う。
 
 
 
もちろん濡れない方が良いし濡れない方が近代的だと思ってた。
 
しかし伊集院さんの話を聞いて、その辺りが脳内でブレ始める気持ち悪いい感じ。
 
 
 
 
 
傘という発明と、普遍性は、実際にめちゃくちゃ画期的だった。
 
髪の毛や衣服のオシャレが産業として生きて来るほどに。
 
だから余計に、感受性の豊かな人はカウンター的な違和感がビンビン来るんだろう。
 
 
 
 
 
 
 
雨が降れば傘をさす事が「常識」になってしまっているとして、
 
日本人は様式美や予定調和が比較的好きな国家なんだろう、と仮定する。
 
 
 
 
決まり決まった形の家を並べ、集合住宅に住まう事で
 
格差の中に生まれる競争心や、純粋な野心を人心から欠き、
 
変わりに、互いをいたわり合える良い方の未来だけを見てたのかもしれない。
 
 
 
この仮説が正しければ、諦観の塊のような国勢に開いた口が塞がらなかった。
 
多分、天晴れ(あっぱれ)や粋(いき)みたいな思想ってそんな事だ。
 
今でもしぶとい「粋」という格好良さは、余程日本人を狂わせたに違いない。
 
 
 
 
 
 
この発見を日記に・・
 
 
 
 
 
ライブが終わったら仏像成分が不足してるのに気付いたから見に行こけわれ〜。
 

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のはなしし

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