-kemurikikaku-

ママチャリに乗った小っちゃいオッサンの日記

はたして新時代

 

 

 

 若者の言葉が大人には通じないモノに変化していったり、子供が遊ぶ玩具が大人には触れないような進化を遂げていたりする事が21世紀目前から増えたように思う。

 

 

 

大人はそのたびに「こういうモノを使いこなすようになった子供たちはどういう風に育っていくんだろう?」と、多少の邪推をしながらその行く末をあんじたりする。

 

 

 

例えばゲーム、例えば音楽、例えばインターネット。

 

 

結局なるようにしかならないんだけど、自分が歳をとるごとに「おおっ」と思わされることが増えてるのも事実だ。

 

 

 

 

仕事終わり、いつものようにネットを漁っているとこんな画像が落ちていた。

 

 

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コレは、ある男性の現在の彼女が、元カノとのいかがわしい~うらやましい~動画を沢山DVDに焼いていたのを見つけて、あろうことか、その件に関して本人に直接twitterを介して攻撃した、と見られるもの。

 

 

 

 

 

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勿論、これが友達同士の遊びで、リツイートやお気に入り、リプライを増加させて「バズる」と呼ばれる状態に持っていく為の芝居だということも十分にありえる。

 

 

単純に現在の彼女と思われる人物が、話の内容からして、知り合いでは無さそうな元彼女のtwitterアカウントをどうやって突き止めたのか、彼氏は止めれなかったのか、など、様々な憶測は飛び交うものの、それはどうでもよくて、仮に意図的な炎上を目的としたものだったとして、承認欲求を満たす方法が新しくなっていることが興味深いのです。

 

 

 

 

こういう変化は毎年見られるし、大抵「最近の若者は論」になりがちだけど、分からないようになると、分からないままでいよう、とする傾向が見られ始める。

これは、ある意味において、偏見と同じ過程をたどっている。

 

 

理解しない状態を良しとして、理解して遊んだり、悪さをする者を特に選別することなく、頭ごなしの否定を始めたりする。

否定する人数が多くなればなるほど、新しい概念や考えを、新しいのではなく、理解できない「悪」とする論調が自然と生まれたりする。 勿論、良し悪しの精査をする必要はある。

 

 

 

これは何千年も変わってないという所に注目していきたい。

 

 

 

 

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