12月16日
故人の苗字をバスのフロントガラスからよく見える場所に。
現代の葬列はバスに乗って焼き場までをスイスイ走る。
桂米朝さんが「葬れんの行列」と落語の中で言ってたこと思い出している。
また「黄金餅」という落語には、昔は山を越えて火葬を行う寺に歩いたことが描かれている。
だからどうしたん。
別に。
葬儀はかくもしめやかに行われた。
泣いてる親戚を見て、優しかったお婆ちゃんの記憶が都合よく再生される。
お通夜。
読経の最中に何処からともなく、次の指示を出すアナウンスが流れたり、故人の写真が止めどなくリピート再生される画面があったりと現代的だった。
棺の上のシャンデリアやラブホテルにありそうなムーディな照明、緩急を付けて木魚を叩くお坊さんの声。
読経が終わり通された控え室は、そのまま和洋の部屋が用意されたホテルのようになっている場所で、親戚がひと塊りになって過ごす。
20人は座れそうなファミレスみたいなラウンジ、畳の部屋が2つ、バストイレ付き、喫煙室までを1つの扉を開けた中に完備している。
マドレーヌやパンが数十個、珈琲紅茶、緑茶、白湯なんかの出るドリンクバーまである。
全体的に笑い声があり、重苦しい雰囲気ではない。
それぞれが久々に合わす顔だが話すことをいちいち持て余してる有様で、煙草を吸う者が逃げ場のように喫煙室に集まったりした。
そこでの会話にまた困ってしまうのだけど。
とりとめのない会話を空白の中で続ける。
結婚式と違って、多少無口でいることに許しを得ている気になれるのが救いかもしれない。
下らない事ばかり考えていたわけではなく、自分なりに故人を偲ぶ。
翌日、お葬式。
無事焼き場へ故人を運び込み昼食。
和食のとても旨い、豪奢なご飯を貪る。
ケーキと珈琲が出る前にそそくさと喫煙室へ。
お通夜の時はいなかった2つ年上の従兄弟は三児のパパになっており、今もバンドをやっていると聞いてテンションが少し上がる。
最後に会った高校生の頃、パンクバンドをやってると聞いたけど、そこから時を経て、ロカビリーバンドでウッドベースを鳴らしてるらしい。
ロックの人がブルースに行く流れのようなものなのかもしれない。
従兄弟の親父さんからも韓国の歌手の声の良さや、ジャズの話なんかをしてもらう。
こういう時に音楽の引き出しが助けてくれることがある。
余分な知識はコミュニケーションの架け橋になる。
「ロカビリーだと、メンバーにモヒカンの人とかいるんですか?」
「それはサイコビリーちゃう?」
「ああ、そうか。リーゼントですね」
「そうそう。ブライアン・セッツァーとか」
「そうかぁ」
「・・・」
「俺らの時代はやっぱりジャズでね」
「ジャズ喫茶とか行ってはった世代ですよね」
「そう。バンビって有名な店があってね」
「中島らもという人の本で読みました。フーテンの人が入り浸ってたんですよね」
「うん・・?うん、そうそう」
「・・・」
架け橋を渡った向こう岸で、呆然と3人が立ち尽くす煙い喫煙室。
めいめい天を仰いだり、何を見つけたわけでもなく、窓の外を意味ありげに覗き込んだりする他なかった。
葬儀自体は何処まで行っても滞りのない、折り目正しいシステマチックな展開。
皆でお箸を一膳づつ貰い、お骨を拾い上げて、骨壷に納める。
不思議な作業だ。
肉屋の大将が各部位を説明するかのように、「ここは肩、ここが大腿骨です」と、慣れた口調で骨を砕いたりして、壺に納まるようなサイズにするスタッフ。
仕事はもしかするとそういうもんだ。
故人を焼いてしまい、それを皆で「うん、確かに」と確認する事で事実として、ある1人の人間の歴史を終える。