フリーマーケットで
服が可哀想だ。
10年以上振りにフリーマーケットの現場へ。
友達が出品するという事でほんの数点委託販売を申し出るつもりが、気付けば店子として服をたたみ、声掛けをして来た。
いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。
大変お安くなっておりますよ、と。
片手でゴミでも掴むように吊り上げられた服に一瞥をくれるおばちゃんの姿。
友達が持参したそこそこ値段のする洋服も首吊り台にブラ下がる死体に変わる。
つまみ上げてはそこらに投げ捨てられ、また吊り上げられ、投げ捨てられ、つくづく人間の業は深い。
「幽☆遊☆白書」で仙水が見て発狂したビデオテープ「黒の書」のようだ。
ゲンナリさせられる姿はだいたい浅ましさを伴っている。
向いてない。
なんじゃかんじゃで我々のブースは1万円を越える金額を売り上げ、生憎の雨でお客さんも居なくなり、店じまいを始める。
残った服はZOZOフリマやブランド品の取り扱いをしている店に出せば良いだろうという事になり、ホッと一息。
隣のブースでは友達の友達が店を開いていた。
最後の滑り込みでやって来たおばちゃんが、200円の服を100円にする為にいつまでも、いつまでも粘る。
醜悪なやり取りを耳が眺めていた。
フリーマーケットの醍醐味に「値切り」があるのは充分に理解している。
ギリギリを攻めて安く商品を手に入れるのが楽しいのも分かる。
しかしモノには限度がある。
遠慮がちに値切る人と、当たり前の顔をして値切ろうとする人。
安くさせようと必死になった挙句、やたら高圧的な口調になっている人は本当に見るに耐えない。
家計を任されている身上では恥も外聞もなのか、それにしても酷い。
笑っているが笑っていない。
一見して小綺麗に見える洋服が酷い安物で着飾っている風に映り始める。
200円やる。消えてくれ。
開始早々にやって来た小学生の女の子たちが、少ないお小遣いを持って楽しそうに、嬉しそうに、買い物をしてくれた光景が心に残ったと友達は言っていた。