蒸し部屋
仕事から帰宅して玄関の電気を付けた瞬間、蛾がそこら中をバタバタ駆け回った。
とにかく蒸し暑かった。12時間前から汗だくだ。
理由の分からぬアピール激しい蛾を一旦無視して、換気扇と扇風機を付けに靴を脱いで奥へ上がる。
換気扇やらを付けるとそのまま、台所に置いてるキャンプ用の椅子にズッシと腰を下ろす。
霞んで見える蛾は「ここから出せこの野郎!」とでも言いたげに見える。
俺ぁ、知らんぞ。
お尻をちょうどいい所に落ち着かせると、続けて煙草に火をつける。
また玄関に目をやるとスポットライトの下で我が踊る。
コンビニや団地の駐車場みたいな、すなわち誘蛾灯付近の光景が繰り広げられている。
飛び回る蛾は有毒性の生き物でない事を知っているからか、家の中から眺める雨のようで、そこまで嫌な景色でもなかった。
バタバタ、バタバタ、鱗粉を撒き散らすように蛾は落ち着きなく、バタバタバタバタ。
やっぱり気になるな。
優雅、ひらひらの蝶と違って、せっかちな蛾は放し飼いには合わないみたいだ。
何処かに止まっては、寝床に入った後も落ち着かない犬猫のようにモゾモゾ、そしてまたバタバタ飛び回る蛾。
しばらくして良い所を見つけたのか落ち着いた。
さて、どうしようか。
こいつはどこから入ってきて、いつからこの家の中にいるのだろう?
煙を吐き出しながらボンヤリ蛾を見つめて重い腰をあげる。
煙が上がってると昆虫というやつは妙にざわつくので、火を消して、蛾を見つめる。
人間だって突然そばに煙がモクモク湧き上がってきたらざわつくだろうから、動物のサガかもしれない。
靴箱に傘を沢山立てかけてあるのを見つけて、手に取りゆっくり広げる。
飛び回る蛾にゆっくり近づけると、今年1番の予想通り、蛾は傘に張り付いた。
「そうだそうだ。人間もなかなか利口じゃねぇか」といった感じだろうか。
傘に穴の空いている事など発見しながら、気を良くしてゆっくりと傘を少しずつ折りたたむ。
蒸し暑い部屋、慎重にゆっくりの作業は汗をジワと噴出させる。
ゆっくり、ゆっくり、蛾が驚かないスピードを考えて、傘が開いてしまわないように注意して、ゆっくり、ゆっくり。
ドアをそろそろ開けて、傘おばけくらいに折りたたんだ先端が、無理なく外に出せる程度の幅に片足で押さえておく。
この時、別の虫が闖入しないように気を配る事が何より大事だ。
ドア上部の隙間から蛾が張り付いている部分だけ、ニュッと外界へ挿し出す。ゆっくり。
2、3度バサバサ傘を揺すってやると蛾は何処かに消えていた。
ドアを閉めてやっと呼吸を再開する。
換気扇と扇風機の音だけがしている。
たまらずTシャツを脱ぐ。
吹き出した汗を脱ぐと同時にTシャツでぬぐい、風呂に入る前に、また煙草に火をつけて、キャンプ用の椅子が抜ける勢いで座ってしまった。
このまま1時間は椅子から立ち上がれそうにない。
帰宅と同時に家に入って来たのだろうか?
Summer Is Her Name - Leon Ware