まさに粗忽の使者
昨夜は堺東でしこたま飲む。
街中、店内でしこたまフリースタイル。
ラップは声を張らずにやってみようとおもったり。so nice
酒に弱いうちはすぐ酔えて楽しめる。
沢山飲まなくても酔える状態はある意味で幸せな気がする。
だいたいのことに通じる、"慣れ"とバランスよく付き合うということ。
対象との距離感があやふやになってきたと気づいたら、
慣れに身を任せて元いた場所から大きくズレていることに気づくとおもう。
その時点で見直しをはかればまた元の場所に戻ることも可能だ。
その繰り返しで何事も円満な関係が築けるのだとおもうけど、そうはいかない。
人間は考える生き物で、考えるということは欲の生き物だ。
無意味だとみんなわかってるのに戦争がまだ終結しないのもこれが理由で、
戦争が必要悪のように語られることがあるのもまた同じだろう。
人は、端的に思い通りにはならないし個別の考え方があることがわかる。
このときに生じるズレもまた、人間ならではだとおもうんだ。
自分から距離を詰めていったり、 考えを主張し続けたりする。
そういう光景を見てるのも、参加してみるのも面白い。
机上の空論として日頃考えてることを実際に目撃するのは
普段から意識してるからか、偶然なのか、そういうことを空想するのもまた楽しい。
堺東の路上で酩酊しながら酒瓶を空けていく。
ヲザキ珈琲が撮ってくれたいい写真。
今は京都にいる山田さんと久々に連絡を取ったり。
今年の夏はみんなでどこかに行けそう。