栄えて枯れて盛りて衰える
長
いつまでも自分たちの世代が最先端で、一番若いような感覚がある。
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錯覚だと気づかせてくれるのが、自分のよく接していたメディアだったりする。
私の場合「お笑い」に一番接していたようで、この動画に栄枯盛衰の兆しを感じた。
「笑っていいとも」の最終回から、ずっと感じている本格的な世代交代。
人気者達が昔いがみ合ってるように見えたのは切磋琢磨していたから。
お互い言いたい事があるんじゃないかと勘ぐっていた人達が一緒になってしまうと、緊張感が一気になくなる。
「一緒にやらないのが良い」という考え方は、盛り上がっているシーンが終わらない為に必要だったりする。
経験を積んだ者同士の邂逅は、馴れ合いになってしまう可能性をはらみ、大人数になるとそれは顕著なんだなと理解した。
ずんのヤスさんって、とっくに復帰されてたんですね。
さんまさんがメインMCの関西ローカル番組で、爆笑問題がゲストに来た際、「俺らは下の世代の為に引退せなあかん」と言うさんまさんに対して、「まだまだやって下さいよ!」と食い下がる爆笑問題。
「俺の中ではお前らも引退するんやで」と言って笑いが起こっていたけど、これは切実な話だなぁと感じていた。
爆笑問題は笑いにしながら本気で否定していたけど、引退は、連体感のある世代で固まって行われ、年齢の差はそんなに関係ないようだとその時初めて気付いた。
憧れていた側と、憧れを作っていた側とが同時に居なくなり、次の世代が新しい憧れになる。
「引退を余儀なくされる世代」に自分も入っている気がして、残り時間の少なさが怖くなった。
世代論は意味がないとは思いながら。
上岡龍太郎さんが「横山エンタツ・花菱アチャコ」の話をしたり、松本人志さんが藤山寛美さんの話をするときの違和感を覚えている。
すでにこの世にいないレジェンドの名前は知っていても、その功績を見たことはない。
子供心に興味はあっても、「この人が面白ければそれで良いのになぁ」と、懐かしむように口にされる大名跡に対して、言葉にならない拒否反応を示していた。
今の十代、もしくは10歳未満の能動的にテレビを見始めた年齢の人達からすれば、私の見ていた時代のスターがいずれ、エンタツ・アチャコ、エノケン・ロッパになるのだ。
そこまで古ないか。
ドリフターズや欽ちゃんなんかがそうだろうか。
上岡龍太郎さんが引退した時、高校1年生くらいだったと思う。
当時の感想としては「ふーん」くらいのものだった。
「この人達がずっと居てくれる」というような根拠のない安心をしていた。
中学生の時は「たけし・さんま・タモリ」に「面白くねぇじーさん達」みたいな、極めて酷い感想を抱いていた私。
御三方は間違いなく殿堂入り、エンタツ・アチャココースだろうと今はハッキリ分かる。
やすし・きよしなんてのもある。
2ちゃんねるを見ていて「ダウンタウン全然面白くねぇ」と感じてる層がいることを知った時はショックだった。
「老害」扱いされる自分の世代のレジェンドを、どう精神的に擁護すべきか随分悩んだものだった。
自分の生きてきた時代が全部否定されるような、あれは、死を身近に感じて考え込んでしまう時の恐怖に似てるかもしれない。
しかし、新時代を切り拓かんとする勇猛果敢な若者は必ずいる。
ダウンタウンらの影響を完全に否定する才能が、牙を研いで控えているのは間違いないのだ。
浜ちゃんの頭を叩き、松ちゃんに「黙っとけジジイ!」くらいのことを言える時代の寵児がいずれ必ず現れる。
この時、ダウンタウン世代が「なんだこの生意気なガキは」と、不愉快に思う人物だと尚良いのだろう。
ウド鈴木さんに「お前も老けたな」と感慨深げに言うさんまさんと、息を切らせるウドさん。
自分は、何か少しでも「生きたなぁ」と思える爪痕をこの世に残したいだけなのかもしれないと気付き、恥ずかしくもなった。
それに一体何の意味があるのだろう。
でも、望んでしまっているのだろう。
FULL さんまのお笑い向上委員会 2015年4月25日 150425 FULL
とか考えてるような顔で朝までゲラゲラ笑っていた。
最近は遅刻を回避している。