髪結いの亭主
そぼ降る雨はまさに「しとしと」という擬音がピッタリ。
考えた人は大人物だったはずだ。
梅雨の気配を隠しながら少しづつ季節が変化している。
蒸し暑いような、涼しいような天候に面倒だけど散髪へ。(遅刻)
ここ1年ほど、ホットペッパービューティーのクーポンを利用して、近隣から電車で30分の範囲で散髪をしている。
今日は電車で1駅の近場でカッティング頭髪。
散髪屋は江戸の昔、「髪結い床(かみゆいどこ)」と呼ばれていたという話を書いたことがある。
そこは散髪のほかに、庶民の歓談の場所として親しまれており、古くから銭湯と床屋は情報交換の場所として繁盛していたという。
この絵からも分かる混雑具合。
流行ってる店を描いたとは思うが、当時の髪型は「月代(さかやき)」が定番なので、ツルッと毛を剃り落としてることからも3日に1回は行ったんんじゃなかろうか。
落語の中にも髪結い床の登場する話が幾つかあり、「崇徳院(すとくいん)」という話では特に沢山出てくる。
ある日、良家の若旦那が神社で出会ったお嬢さんに一目惚れして恋煩いにかかる。
近所に住む若旦那と懇意の男になんとかそのお嬢さんを見つけだして欲しいと頼むが、お嬢さんの所在は勿論、名前も分からない。手がかりは、お嬢さんが若旦那に別れ際渡した、百人一首にある「崇徳院」の読札、上の句だけ。
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
雲を掴むような尋ね者。これだけの情報で男はお嬢さんを見つけ出すことができるのか・・
というお話。
洒落た事をする娘さんの渡した和歌は恋歌で、「岩にあたり、一度は別れる川の水もいずれ1つの川になる」という意味がある。
この手がかりだけで町中を駆けずり回る主人公が向かう先というのが、髪結い床。
散髪屋である。
そこでこの句を読めば、誰か、何かを知ってる人に当たるのではないかということで、町中の髪結い床で和歌を連呼する。
それくらい散髪屋に行けば人が集まり、情報交換ができたらしい。
今日行った現代の髪結い床は確かに人が集まり、活気があるようだった。
初めて来る散髪屋はいつも店と客の間に緊張の川が流れている。
お互いに様子を見るような雰囲気の中で散髪が始まる。
いろんな散髪屋を利用するようになって、川が最後まで1つにならない事も多いと知る。
担当してくれた女性はこの道18年のベテランで、元々愛知県で美容師をされてたという。
自分が喫茶店で働いていることもあり、愛知の喫茶店文化の話になったりするが、それはもう知れたことで、情報というほどではない。
美容師さんが続けることには、愛知では「スーパー銭湯」文化も盛んらしく、1駅に1つはスーパー銭湯があるという。
偶然にももう1つの情報源とされた銭湯の話。
愛知の人は車の中に銭湯セットを常備して、いつでもスーパー銭湯に向かうという。
美容師さんは「そんなに自分は行かないのだけど」と言いながら、週に1回は利用してたとか。多い人は3日に1回は銭湯に行くとか、にわかに信じがたい話だ。
髪結い床は確かに情報を教えてくれた。
大阪にやって来た日、借りた部屋にはまだガスが通っておらず、当然スーパー銭湯が近くにあると思っていたので夜まで荷解きなどをし、満を持してスーパー銭湯へと思ったら無い。
たまらずタクシーに乗って、銭湯に向かったというからその当たり前の度合いが知れる。
大いに「ほうほう」うなずいて、プリン頭の汚いロン毛を綺麗にしてもらい、ウキウキしながら大満足で髪結い床を後にした私が、smokeです。
川はどうやら1つになり、またここを利用しようと考えている。
桂枝雀 Shijaku Katsura 崇徳院 落語 Rakugo
いつかチャレンジしたい噺。