予定
入院中の祖母がもう長くないかもしれないと宣告を受けたらしい。
聞けば97歳。
縁起でもないけど現実的らしく、「礼服を揃えて置いといてくれ」と言われて数珠なんかも買い揃える。
礼服売り場を歩く。
ロールプレイングゲームのイベントで必要な装備を揃えるような感覚。
システマチックに運んでいく儀式の用意は、この先の予定とは正反対にあっけらかんとしている。
(・3・) こんな感じのすっとぼけた顔で父と合流、ダイエーを彷徨う。
こんな時、当事者はどんな顔をしてるのか、最高に下世話と分かりつつ、久々に親の顔を観察していた。
祖母は、私からすると年に1回会うか会わないかの存在。
考えると合計で30回も会っていないと思う。
家族でした3回目の引越し前、夏休みの10日くらいをお婆ちゃんの家に預けられて、その時は四六時中顔を合わせていた。
躾や礼節に厳しい、昔ながらのお婆ちゃんで、自由奔放な子供だった自分は堅苦しい人という印象しかない。
馬鹿・下品・生意気が三拍子揃ったまさしく糞ガキだったので、「(母方の)お婆ちゃんの方が優しくて良いやろ?」なんて嫌味を言われた日には即答で「うん」と答えた。
精進料理のような食卓を前に絶句したお婆ちゃんの「このガキ・・」という表情を見て、「ハンバーグを食わせろ」くらいに思っていたから正真正銘の糞。
共に預けられた小5の兄が「なんでそんな事言うねん・・」とため息混じりに呟いた光景だけがハッキリ思い出される。
兄にも随分気苦労をかける自己中心的なうんこだった。
そんな事で、祖母が実の母親にあたる父親とは、似ても似つかない心境の筈だけど、案外父親もあっけらかんとしている、ように見える。
気丈に振舞っているのかもしれない。
もしかすると、そういう遺伝子として私達を血で支えているのかもしれない。
泣くとこは、できたら見たくないけど仕方ないだろう。
日本人はマニュアルが好きだ。
「こうしなさい」、「こうするのが正しいよ」、「こうしてると迷惑かけないよ」と、正解らしきをくれるのを待っている。
聞けば、何処に「伝説の剣」があるのか教えてくれるロールプレイングゲームだけが成立する。
何年振りか父親と2人で顔を付き合わせて昼飯を食べる。
2人でこうして食事するなんて、物心ついてからまだ5回も経験してないかもしれない。
いつも同じ話ばかりする人で、この日も祖父母の武勇伝のような事を、会話と会話の間を恐れるように喋り続ける。
自分のDNAに流れる誇りの話を、傷付けられまいと話して来た歴史を空想する。
大隈重信が遠縁の親戚だと言う話がお気に入りだ。
聞くたびに「証拠あんのか?」と思う話。
実話だとして、栄枯盛衰の「衰」を担当してる親戚筋としてはたまったもんじゃないと責任転嫁。
第一次大戦に名乗りを上げたツケが回って来てんじゃないのか。
教科書に載ってる肖像画を検索して見ると、武士らしいへの字口の偏屈そうなオヤジだ。
気温低く、雨が降っている。