幸福な鐘の音
ここ2、3年、「読了(どくりょう)」という言葉をよく見かける。
特にtwitterで読了、読了、読了・・
ネットで意味を調べると、「すっかり読み終える事」とあり、例文には「全巻を読了する」と書いてあることから、なんとなく、字数が多い読み物を読み終えた事のようだ。
しかし、雑誌みたいなものや、インタビュー記事にすら「読了」と言ってる人を見かけると、ちょっとだけ吐きそうになる。
普通の言葉な筈なんだけど、ここ数年で妙にアレな言葉に見えてしまって、向こう何年か、自分は使わないでおこうと思ったりした。
本を読み終わっただけだっせ。
普段本を読まない人が、これみよがしに使っているような印象がいやらしく感じたのだろうけど、「承認欲求を満たして欲しいな〜」が全開の人が使ってる「読了しました!」が嫌、が本当だと思う。
凄く賢そうな顔で「読了」しているような気がするのも、本当いや。
独断と偏見だと知って、そんな事にいちいち目が行くのも気持ち良くないのでtwitterを止めるのが1番だけど、それは難しい。
依存症は恐ろしい。
普段から本を読んでる人はそんな事わざわざ言わないような気がする。
根拠なく、気がするだけ。
もっと言うと、普段から本を読んでいる人が使う「読了」は自然に見える、これも、そんな気がするだけ。
独断からくる狭量な偏見。
かくいう自分も、いつか、何処かで「読了」を見かけて、良い言葉だなと敏感になってしまい、多分使ったりしたような気がする。
元気出して行こう・年末。
大晦日は24時間電車が動いていると聞いた事があって、本当に動いているらしい。
毎年大晦日が近づくと「乗ってみようかな」なんて思って、乗らない。
明日も仕事だから、とか考え出すと何もできなくなる。
なんの目的もなくブラついて、帰って寝て仕事ってのも、考えただけで既に気怠いけれど、元気出して行こうかな。
年明けムードに呑まれてドンヨリ帰宅する自分しかイメージできないけど、この行動は成るように成るので、生きてる内に乗っかるのも有りか。
車が欲しい。
ド年末の終わりに無為なゴタゴタを垂れていると先輩から電話が鳴る。
「今トラックで姫路から帰っているから、予定が無ければ初詣にでも行かないか」
そんな未来があるのは知らなかった。
ともし火で祝福する1年を迎えに、また夜。
今年も1年間、読んでくださいまして御ありがとうございます。
俺も店じまいをして帰ります。
さぁ皆様、良いお年を。
続終