-kemurikikaku-

ママチャリに乗った小っちゃいオッサンの日記

モザイク問答

 

投稿し忘れとるやんけ、な昨日書いたやつ。

この現象は悔しくない程度に悔しい。

 

 

                            

台風で電車などの交通機関を止めるのが早すぎるのではないか?という投書。

また差出人は、「百貨店なども臨時休業が早い気がする。従業員の為の休業なのか、利用者の為なのか、安全第一は理解できるが、市民のことも考えて欲しい」と訴えている。

 

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差出人は台風の日、デパートかなんかに行きたかったのだろう。

また差出人の住んでいる地域は比較的被害が少なかったことも文章からわかる。

そして、被害の少なかったとみられる差出人の住む地域からのみ、従業員は出勤していると、思い違いをしている事に差出人が気付いておられないことがボンヤリ分かる。

 

ネットでは「老害」というキーワードを軸に沢山の罵声がみられたが、新聞がこういう記事を載せるのはとても有意義なことだと思う。

様々な意見を公表することで、大小関わらず議論が生まれ、隣人の意見が可視化するというのは悪いことばかりでもないだろう。

もっとも、その場その時の多数決的な意見には注意するべきだけど、それも含めて自分の頭で考えることをする良い機会だ。

 

 

 

 

 

トカゲを盗んだという男の画像。

 

 

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「働いたら負け」のTシャツがすごい。

 

アーティストやバンド名のプリントされたTシャツを着てる人を指して「よく知りもしねぇくせに」とか、そういう意見を見聞きすることがある。

また英字などのプリントTシャツを着ていると、「意味わかってんのか?」とか「本当に書かれてることを思ってるのか?」など、当人とプリントの関係をシャレではなく、とても真剣に気にしておられる方がいる。

 

画像の犯人はTシャツのプリントと自分の意思をしっかり擦り合わせていたのだろうか。

だとすればどこか、犯人はプリントに力を貰っているような、大義名分があるかのような妙な自信を感じないこともない。

言うまでもなく、だから許されると言う話ではない戯言。

チャールズマンソンのTシャツを着ていれば猟奇殺人を犯して良いわけがない。

色々と気になってしまう人はシャレでこういう服が選べないようになりそうだ。

 

 

 

 

中国で娘をいじめられた父親が10歳の少年を果物ナイフで滅多刺しにして殺害。

 

殺害現場のトイレで血だまりに横たわる子供と、「私が殺した」という風に少年を指差している父親の画像が出回っている。

 

目にアザを作って帰宅した娘を見て激昂した父親の犯行に対して、「暴力に暴力で対抗する愚かさ」を嘆く人と「自分が父親でも同じことするだろう」もしくは「気持ちは分かる」という意見が沢山見られた。自分が同じ立場にあったら、を考えた人が多いと思う。

さぁどうなんだろう。

 

いや一般論や常識では考えるまでもないのだけど、

 

さすがに殺しはしないだろうけど、娘が男に殴られて目にアザを作って帰ってきたら、まず理由は聞くにしても、グッとこらえて金銭的解決をするのが大人というか、正常な対応なのだろうか。なのだろうよ。なのだろうな。うん。

しかし男が女の子に、目にアザができるくらいの力で顔面をぶん殴るってのも甚だ問題あるよな。

 

一部で失明がどうとか、確認の取れない話も上がっていたけど、仮に失明してたら。うーん。

さらに仮定として、完璧に一方的ないじめがエスカレートして失明までいった場合の、冷静な対応とは如何に。

 

画像に映る父親は、どこか晴れやかな顔をしているように見える。10年、20年後も同じ顔をしていられるだろうか。

殺人犯を擁護したくなるこの気持ちは、とにかく気持ちは分かる、ということなんだろうなー。でもそこまでやっちゃーお終いだよおとっつぁん、と。

娘さんが二次被害に遭わないことを祈るばかり。

 

 

中国のTwitterのようなサイトで画像がアップされたらしいけど誰がアップしたのだろう。えらく鮮明な写真だった。

中国は自由な言論ができない国だと聞いたことがあるけど、時折ショッキングな画像が流れてくることがある。

画像に対する規制は、ある程度定型の言葉と違い規制しにくいのかもしれない。

とてもザックリした言い方だけど、人口が多い国の抑えきれない自由も感じた。

 

www.google.co.jp

 

 

 

「『多様性』とはあなたにとって不愉快な、誰かにとっての自由がいつも目の前に現れることだと考えた方がいい」なんて話をTwitterで見かけたけれど、こういう行為や画像も多様性の1つに捉えられてしまう日がくるのだろうか。

多様性なる考え方が現実的になるにつれ、少なくともそれを声高に主張する人は沢山現れそうだ。

人が自由を、本当に自由に扱うことが出来たらそれは進化といってもいいかもしれない。

 

多様性 - Wikipedia

 

 

www.youtube.com