味のする夢
洗濯機をフル回転させてる掃除機をかける。網戸から最後の寒風が吹いている。
鎮魂の言葉が見えてくる。
「クリントイーストウッド」を思い出そうとウロウロしてると1日が終わった。
それから何日か経っている。また今日も夜中から寒い。表裏を繰り返している寒暖は季節の移ろい。心模様も変わっていく。YouTubeで動画のついていない「ニケツ」をラジオ代わりに延々聞いている。最近の若者は「延々」を「永遠」と表記するらしい。予測変換時代の弊害だろうか。かつてこれに代わるのが「ふんいき」だったように思う。「ふいんき←なぜか変換できない」はネット上でスラングとして、流行語と言って差し支えないほどよく見る文言となっていた。
しっかり70'sソウルのイントロ。どの時代もそれっぽい曲が確かにねじ込まれて進化の過程を辿る。最近聞こえてきたキングヌーの曲はデビュー時のJAMES BLAKEのそれに違いなかった。ああいった表現を日本で許容されている事で彼らが大人たちに認められていることが分かる。
「明日では遅すぎる」の初出は分からないがかつて雑誌の名前としてあったそう。
なんとも興味をそそるジャケット、特集記事の数々。最近まとめてナオキマンショーの動画も見ているのでなおさら。個人的にはsoul screamの「future is now」でビンビンきた言葉。「明日では遅すぎる」。良い言葉だ。
とにかく日々を続けている。これといって特筆すべきがないのは変わらないが、日常は愛するに足る素晴らしいものだと実感している。映画やドキュメンタリーを見ながら毎日を歩く。少しだけ、目の前が開けてくるような、そういう幸福感を存分に味わいながら。今日も最高の1日でした。明日はもっと最高の1日になるで!
沢田研二は見つからなかった。