-kemurikikaku-

ママチャリに乗った小っちゃいオッサンの日記

素がちがう

 

自分の風刺画みたい。

服を処分するクセをつけています。

 

2015年ダーグル・カウリ監督作品「フーシ 好きにならずにいられない」を鑑賞。

 

アイスランドの空港で荷物整理の仕事をするフーシ。母親の彼氏の大きなお世話がきっかけでダンスレッスンへ行くハメに。そこでひとりの女性と出会うことになる。

 

日本版ポスターが酷すぎると嘆いておられる方のツイートを見てマイリストから探し出して見た。

ピンク色の落書きと、邦題が日本オリジナル。もう何年も邦題とポスターの改悪について言われているけど、映画を見て思う。これは確かに酷い。「アイスランドの〜」だけでいいと思うんだけど、目立たせるために何でもする。それが合理的という判断なんだろう。

 

かつて淀川長治さんが「最近の映画は説明しすぎる」と仰っていた。この映画は編集されたのか元々か、観客が各々で行間を埋めるシーンがたくさんある。わりと核になる部分が説明なく進行したりするのだけど、フーシに感情移入して見ていたからか、明確な答えを知らされないことで安心してる自分がいた。

恋愛経験のないフーシが恋をするのが物語の軸。恋愛が人を動かすとき無限に動けそうな活力を発揮するが、行き過ぎた献身に発展してしまう瞬間が玉に瑕。フーシが奮闘する姿を応援したくなる映画だった。

 

恋愛パートも面白かったのだけど個人的に粛々と仕事をこなすシーン、ジオラマ制作に没頭してるシーンが心地良い。なんてことない数秒のカットだが、使い終わった工具を黙々と拭くシーンがあったり、母親の友達のためにバーナーを使ってクレームブリュレのパリパリを作ったり、器用で、とても丁寧な仕事をする人だとわかるシーンに優しい人柄が映る。

人嫌いではないが寡黙なタイプ。ジオラマ好きな友達と真剣に遊び、毎週金曜に訪れるタイ料理屋での僅かな交流、贔屓のラジオで常連リスナーとしてリクエストする音楽に癒される日常は、誰にでも手に入れられるモノじゃない充実した暮らしにも見える。反対にしょうもない絡み方をしてくる同僚、母親との関係、見てくれで揶揄されてしまう偏見への諦め(こういうシーンがあるだけにポスターの作り方に愕然とした)が、映画全体を引き締めるようランダムに配置されており、口数少ないフーシのテンションがシーンだけで分かる。この手の見せ方は絵がわりの少ない淡々とした日常系映画の醍醐味かもしれない。ひとえに恋愛映画とも言えない展開は、人の優しさを思い出させてくれた。

 

youtu.be

予告を見ると甘い恋愛劇みたいだけど、そんな映画か?と見た人は思うんじゃないか。

 

オープニングとエンディングで流れる暗い旋律のピアノとエレキギターだけの曲が想像上のアイスランドの冬景色や、登場人物の心の機微、町に住む人間の考え方なんかを表すようだ。映画「パターソン」でアダム・ドライバーが無口なバスの運転手を演じていたが、日常系の定型としてこの手のキャラはよくハマる。今日も最高の1日でした。明日はもっと最高の1日になるで!