-kemurikikaku-

ママチャリに乗った小っちゃいオッサンの日記

きみは財宝?

 

中学生ぶりくらいに馬鹿デカニキビが出現して困っている。

マスクが触れると痛いし、膿が出るしで絆創膏を貼って過ごしています。

 

1979年柳町光男監督作品「19歳の地図」を見た。

 

どういう具合に生きてったらいいのか、わからないなぁ

19歳の吉岡まさるは上京して適当に予備校へ通い、住み込みで新聞配達をする。日に300件の配達はきつく、契約者たちは口々に勝手なことを言い、自分を疎んでくる。あそこの家には吠えてくる犬がいる、×(バツ)1つ。この家は玄関に赤い花なんか置いてやがる、×2つ、あの家は集金に行けども払わない、×3つ。不満度を×の数で記したノートを手に、吉岡は電話番号を調べて悪戯電話をかけはじめた。

 

世の中が「魔女の宅急便」で盛り上がっていた頃、つゆ知らず青春の鬱屈と無力を叩きつけてくる名作を眺めていた。

対面すると上手く話せない吉岡が、悪戯電話でのみスラスラ悪口雑言を吐き、右翼を騙って脅迫する姿はネット上で行われていることのようだ。行き場のない怒りを歪な形で発露させる吉岡の表情の数々が、胸を打つ寂しげな青春の影に包まれていて素晴らしかった。吉岡を演じた本間優二さんは監督の「ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR」に出演しており、実際に当時暴走族ブラックエンペラーで会長をしていたそう。こちらもアマプラで見ることができる。嬉しい。

吉岡が×印をつけたノートに気に入らない人間の特徴を書き込むシーンでは、いつしか観客も覗き込むように何を書くか注目している。「大ケチ」や「物品要求激しい」とかはまだ分かるとして、「芸能欄しか見ないバカ」、「無教養 死ぬ価値あり」など無茶苦茶なことを書き始めて笑ってしまう。

 

無残な青春物語は70年代のアメリカンニューシネマ的な、出口の見えない暗闇をもがく若者の姿を映しながら、童貞男子のやり場のない怒りに向き合った作品にも見えた。

劇中で何度か吉岡は童貞であることをいじられ、殴り合いにも発展するのだけど、暴れても、金を稼いでも、イタ電をかけ回っても、モヤモヤは解消されない。そこへ蟹江敬三演じる紺野が入れ込む女、自殺未遂の末、身障者になった娼婦マリアが現れる。後半ある騒動の果てに吉岡はマリアを徹底的に罵倒する。

おまんこばっかり大盤振る舞いしやがって、うじ虫みたいに生きてきたんだろ。傲慢だ!化け物だよ!キチガイ!そんな姿で生きるくらいならとっとと死ね!見苦しい!穢らしい!死ね!

節度のない罵詈雑言を浴びせる吉岡に、一部の童貞が母親に内弁慶を炸裂させる瞬間が被った。思春期を過ぎても尚、女性に強く当たる者が一定数いるが上京して独り身の吉岡にとってマリアは絶妙に、ある種不快な存在だったのではないかと見え、童貞男子の幼児性、闇の一部を捉えた見事なシーンだと思った。

 

今作は後年、芥川賞を受賞する中上健二の同名短編が原作になっている。氏は被差別部落出身者で複雑な環境で育ち、町の人を見てきた目線が吉岡まさると同一のものなのが分かる印象的なシーンがある。吉岡が×印を付けているノートにはその家の家族構成や職業、どういうところが気に食わないかが記されているのだが、1度だけ、気に食わない所が書かれなかった家があり、それが「三味線を作る人」と「あんまさん」だった。古くから按摩は全盲の方がされていた職業なのは「座頭市」などで知ってる方も多いと思う。そして三味線の皮を作っていたのは被差別民の人たちであり、犬や猫の皮を使って製作していた歴史がある。現在も奏者は人間国宝になれるが、製作者がなれないのは差別であると、講演をしている方がおられるのは意外と知られていない。微かに敬称が付いているところに仲間意識が見え、この目線は被差別部落出身者であることで生まれる血の通った表現だろう。

 

youtu.be

これを見てスルーできる人もいる。

 

この時代特有のものなのか、お札をクシャクシャにして持ってるのが好きだ。俺もクシャクシャにして持っていたい。先週、大阪九条のシネ・ヌーヴォ柳町監督が来場し、映画を上映していたことをあとから知った。最近は感染対策が身に染みすぎて、この手の機会をはじめから無いものと思ってしまっている。今日も最高の1日でした。明日はもっと最高の1日になるで!

 

十九歳の地図