-kemurikikaku-

ママチャリで駆けずり回る小っちゃいオッサンの日記

年末開始

 

 

 

「除夜の鐘がうるさい」という事で廃止しようという動きがあるらしい。

 

例のごとく、「クレーマーに合わせていたら今に何もできなくなるぞ」という言論が目立っているそうだ。

 

 

 

神社仏閣好きの自分としては「大晦日くらい良いじゃない」と反射的に思ってしまうけれど、実際、小さい子供やご老人が目を覚ましてしまうのは「実害」だと仰る住職もおられるという。

 

 

 

ご存知の通り常識というのは、飽くまでも或る時代の考え方でしかない。

 

除夜の鐘が何百年前に起源を持つのかは知らないけれど、その辺の常識も変わりつつあるのかも知れない。

 

ここ10年で何度も言われていると思うが、インターネット普及後、世界に様々な変化をもたらしたツイッターフェイスブックの登場により、今までご近所間でしていた各々の主張を多くの人に見せる事が出来るようになった。

 

これまではそれが出来なかっただけで、除夜の鐘・元年から存在した小さな子供を持つ親や老人からすればずっと迷惑だったのかも、ということも言える。

 

しかし世間的には「除夜の鐘、なかなか良いじゃない。乙だよね」なんて事で、そう思わない人までも、それを甘受してきた歴史が隠されていたのかもしれない。 

 

 

常識が変わりそうな時は新鮮な意見に流されやすい人も含めて、それぞれが新しいモノの見方に対してどう思い、行動するかで多数派意見にガラリと変わったりする。

 

個人的に除夜の鐘は「生かし」の方向でお願いしたい所だけど、どうなるものか。

 

 

 

 

エレベーターに落ちていた買い物リストにも年末を感じる。

 

 

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ブラジャーという単語に中学生のようにドキっとしたりもする。

 

 

 

 

何かと驚くような発言をするホーキング博士が「今、時代が変化しようとしている」と言っているそうだ。

 

記事の一部を引用すると、

 

インターネットやソーシャルメディアが普及したことで、富を持つものと持たざるものの現実の姿を、誰もが簡単に知ることができるようになりました。例えば、Instagramで公開されているセレブリティの華麗な生活や、戦争のない豊かな世界での日常生活を、苦しい生活を強いられている世界中の誰でも簡単に知ることができるというのが一例です。

 

博士の危惧する問題とはかけ離れてはいるけど、除夜の鐘さえも、知ることが出来て初めて問題提起になる。

 

インターネットを通じて今まで見ることの無かった世界の暮らしぶりの違いに、何かしらの行動を起こす人が増えるのは当たり前のことで、これからも同じ理由で、今まで常識と捉えられていた事柄が変化していく可能性はかなり高いのだろう。

 

知らないことは、ほとんどの人の中で無いモノコトになっているというのが現状だということにも気付かされる。

 

しかしそれは現実では無い。

 

 

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