その間の記憶が薄い
切ない気持ちのゴミ捨て場。
夜になると開きたくなる扉。
落合陽一さんのツイートが目に止まる。
自己矛盾性を明らかにされたくないやつが自己矛盾の中で選ぶものは美しいのかという問題がある.その自己矛盾性に無自覚な露悪的なプレイスタイルを私は好きになれない.つまりは自己矛盾を喚起する奴も自己矛盾のまま乗っかるのも嫌なヤツらだ.同じ空気を吸いたくない.
— 落合陽一 Yoichi OCHIAI (@ochyai) 2023年7月26日
因果関係はないが、最近ネガティブ寄りで話題になっていた国内のヒップホップイベントのことが頭に浮かんだ。「まるでブレイキングダウンだ」というのが見たままの感想になるようで、音楽イベントとしてはダーティな要素が前に出過ぎていると私も感じた。この手の話になると好きな人は「ストップ・ザ・ヴァイオレンス・ムーブメント」を標榜したKRS-ONEというラッパーのこと、その後に彼が別のラッパーを殴ったことで物議を醸したことを思い出すだろう。昔から日本人とヒップホップは暴力的な部分が絶望的にフィットせずここまできている気がする。アメリカで生まれた文化と日本人の気質のすり合わせがずっと続いている印象だ。
同じになるとは思わないけど、かつて文学の世界で起きた自然主義は表現が露悪的な方向に流れ、徐々に世間の賛同を得られなくなり衰退したそうだ。落合さんの提唱する「デジタルネイチャー」はこれまでの流れとは別の、新しい可能性に満ちたものなんじゃないかと過剰な期待もしてしまっている。
ずっと良い。
「芸人がマトモでなにがおもろいねん」論争(?)に近そうな話だけど、最近のムードはいかにも真っ直ぐな正しさ。しかしガワが綺麗で中身が腐ってることはよくある。外から見るのと中から見るのと、ほとんど誰もが違うもんなのに無視されつつある。理想が「こうあるべき」になった時の面倒臭さみたいな。日々、無意識に触れる世界や社会が変容してるんでしょう。今日も最高の1日でした。明日はもっと最高の1日になるで!