-kemurikikaku-

ママチャリに乗った小っちゃいオッサンの日記

ラッキーなことに

 

ハンドガンとサブマシンガンを持った父親に俺以外の家族が殺される夢の中にいました。

なんとか逃げたあと、現場となった実家は血の海だったと警察に教えられました。

 

2016年ダニー・ガルシア監督作品「SAD VACATION ラスト・デイズ・オブ・シド&ナンシー」を見たんや。

 

セックス・ピストルズのベーシストであり、パンクアイコンとして今もそのスタイルが継承されるシド・ヴィシャスと、恋人ナンシー・スパンゲンの短すぎる生涯のドキュメンタリー。シドのナンシー殺害容疑における不可解な謎を当時の関係者が語る。

 

エッシャーのドキュメンタリーを見て、そういえばマイリストに入れたまま見てなかったことを思い出し視聴。私はシド・ヴィシャスより断然ジョニー・ロットンが好きなので、彼について深く知ろうとはしてこなかった。それでも映画に映るほとんど全てのことを知っている。こすり倒された情報しか出てこないのに、何度も本や映画に墓を掘り返されるのが、ヨレヨレのジャンキー2人にお似合いのパンクだとも思った。誤解を含む言い方だけど、そこが抜群に格好よかったりする。シドはこれ以上ないアイコニックな存在で、おそらく音楽的にはほとんど何もしていないが、故にパンクの歴史に於いて語り継がれる象徴的な人物であることがわかる。

正直、誰?となってしまう事件が起きた当時のチェルシーホテルの住人で、証言者たちは老人ばかり。若干二十歳のシドとナンシーの姿だけが若々しく、哀しい。この手のものにピストルズのメンバー、マネージャーのマルコム・マクラーレンからのコメントはないのが決まりだが、それはある種の救いのようにも思う。

 

ロットンはピストルズを再結成した際に理由を聞かれ「金のために決まってるだろ」と即答したと当時何かで見た気がする。好っきゃわ〜ロットン。

 

youtu.be

ナンシーが幼少時代に癇癪持ちを理由に医者から処方箋ドラッグを出されていたというのは初めて知った。時代もあるだろうけど、"なるべくして"と言われてしまう数奇な人生だ。

 

中学の英語の教科書にビートルズをはじめ、音楽の歴史がサラッと掲載されており、「パンクは社会に対する怒りを表現している」とかそんなようなことが書かれてあった。写真に映る吠声顔のロットンに注目を集めた担任の英語教師が、髪の毛をツンツンに立てていた私を指名して、ボーカルの名前を言わそうとし、ジョニー・ロットンと答えたが、「そう、シド・ヴィシャスですね」と声をかぶせて言ったことを強烈に記憶している。彼は私に恥をかかせまいとしたような大きな声で、それが逆に恥辱的な思い出になっている。あれはどこか私の中のパンク体験のひとつだ。今日も最高の1日でした。明日はもっと最高の1日になるで!