-kemurikikaku-

ママチャリに乗った小っちゃいオッサンの日記

君の自己ベストすごいからな

 

最近妙にヒットした画像。

なんか良い。

 

1991年黒澤明監督作品「八月の狂詩曲(ラプソディ)」を見た。

 

ある夏、長崎の田舎に住む祖母、鉦(カネ)の家にハワイからエアメールが届く。自分の兄だと名乗る錫二郎が病で先が長くないため、最後に妹に会いたいと書いてあるが、鉦は錫二郎を知らないという。代わりにハワイへ向かい、4人の孫たちが鉦の家に預けられた。孫たちは祖母から原爆体験を聞き、次第に忘れられていく被災地を見て回るうちに戦争に思いを馳せ、その悲惨さを理解していく。

 

子役の演技や内容が、社会や道徳の時間に"見せられる"タイプの作品を思い出した。当時からあの手のビデオがとても好きなので、この作品ともすぐに混ざり合った。原爆の恐ろしさを表すのに、綺麗な山間が紅く染まり巨大な目が映し出される、いまだとチープに見える演出なども好きだ。小学校に遺されている爆風で溶けて曲がったままのジャングルジムの痛々しさ。反戦映画を見ると、なぜいまだに戦争は無くならないのだろう?という当たり前の疑問が生まれる。

なぜそうなったのか思い出せないけど、小学校4、5年生の頃に第二次世界大戦のことが気になって気になって、調べまくっていた時期があった。猛烈な好奇心と意欲を持って休み時間、放課後と図書館に篭り、歴史資料を読み漁り、誰に言われたわけでもなくノートにメモをしてひとりほくそ笑んでいた期間があった。なかでも広島と原爆の関係には異常な興味を示し、ついに親を説得して広島に連れて行ってもらったほどの熱の入りよう。これもなぜか分からないけど長崎のことはそこまで調べる気にならず、広島に狂った関心を寄せて概要を調べ倒していた時期にこの作品を見たら長崎にもきっと狂っていたに違いない。

 

リチャード・ギアが出演しており、彼の拙い日本語が素晴らしい。お婆ちゃんとリチャード・ギア演じるクラークが、満月の下で言葉少なく打ち解け合うシーンはとても感動的だった。子供たちともゆっくり距離を近づけていくクラーク。トトロの風景に似た田舎の景色にお年寄りが集まり、般若心経を読経する光景とリチャード・ギア。面白く絵になるシーンが多い。

 

お婆ちゃんを訪ねてきた別のお婆ちゃんが、向かい合って話もせず、1時間ずっと黙って座っていることに孫たちが不思議がるシーン。訳を聞かれたお婆ちゃんのセリフが印象的だつた。

黙っとってもわかる話もある。あの人の連れ合いもおじいちゃんのごと、長崎で死んだと。だけん、時々来て、黙って座って、黙って帰ると。話ばするとき、黙っとる人もおっとじゃ。

 

個人的にラストシーンがすごく変で好きだった。1945年8月9日と同じ曇り空が突然の暴風雨を呼ぶ。失踪したお婆ちゃんの安否を気にする子供たちの声がかき消され雨音以外聞こえなくなる。傘もささずに飛び出した遠方に、今にも折れそうな傘をさしたお婆ちゃんが、長崎の市街地に向かってヨタヨタ歩く。走って追いかける孫と子供。お婆ちゃんの傘が裏返しになった瞬間シューベルトの「のばら」が児童合唱団の歌声と共に軽快に鳴り響く。不思議だ。シュールだ。笑いそうな気もするし、とても感動(?)した。なんだこの終幕!

 

youtu.be

登場こそ少ないが、リチャード・ギアが本当にいい味を映画に足していて、世界の黒沢の采配はすげーなぁなどと感心している。

 

youtu.be

こんな番組がアップされていた。YouTubeにある無数のアーカイブに感謝するばかり。

 

さっき見つけた。

 

なんのやる気もなく考える日常。やっと映画なんか見る気が戻ってきたのでダラッと書く。まぁしょうがない。なにをするにもまだ重たいけど、1作目がとても良かったのでまたポツポツ見ていこうと思う。余裕を持てるように工夫することがなによりも大事で、そのためにできることは今のところ「普通の暮らし」だと結論した。「こじんまりまとまって静かにしておきなさい」と言われて素直に従っておくことがいちばん楽なことを知ってる人種は、バンジージャンプをちょこちょこ楽しむ。今日も最高の1日でした。明日はもっと最高の1日になるで!

 

八月の狂詩曲