-kemurikikaku-

ママチャリに乗った小っちゃいオッサンの日記

お元気ですか?

 

 

 

今日の新聞は天皇陛下のことが大きく見出しになっている。

 

 

 

昭和天皇崩御の際、日本ではテレビの自粛が話題になったと聞く。

 

私はまだ小学生でもなかったので記憶にないのだけど、例えばこのCM。

 

www.youtube.com

 

井上陽水さんの「お元気ですか?」という言葉が印象的。

 

糸井重里さんの「くうねるあそぶ。」のコピーと共に、経済大国として日本が大いに賑わっていた時代を見れる、非常にシュールでオモロイCMなんですが、その時、この「みなさんお元気ですか?失礼します」の部分のみ音声が消え、とても気色の悪いCMになったという。

 

 

 

そのことをラジオで教えてくれたみうらじゅんさんが

 

これは一体、誰のために、何のための自粛なのか、何をどこまで自粛すれば良いのか、テレビ業界の人も含めて、ほとんど誰もわかってなかったんじゃないかな

 

と仰っていた。 

 

 

 

当時、ほとんどのお店が店じまいになり、開けているお店もBGMは消して、店員が喪章をつけて仕事をするなど、なんとも物々しい一日になったと聞きます。

 

戦後、天皇という存在の認識が刻一刻と変わっていった日本で、それは本当に「誰の為の、何の為の自粛なんだろう?」という気持ちだったことは想像に難くありません。

 

「自粛とか必要ねーよ!」って言いたいんじゃないですよ。

 

 

 

 

また、天皇と聞くと思い出す文章がある。

 

私は天皇を好きである。大好きである。

 

これは太宰治の「苦悩の年間」にある一節。

 

 

 

ここだけ抽出すると、太宰治=とんだ右翼思想家にされかねないので一応、もちろんそういう文章ではない。とだけ申し上げておきます。

 

短い作品なので、興味のある方はこちらを。

 

太宰治 苦悩の年鑑

 

 

高校生の頃、「私は天皇を好きである」という一文に随分と感嘆した。

 

文体や潔さ、時代背景に見る日本の混迷期に1人の作家が挙手した、右も左もない、「新しい自由思想」への想いが込められていた。

 

 

 

この時期の太宰治作品はどれもこれも好きなものが多いのだけど、新潮文庫だと確か「グッド・バイ」に収録されていた「苦悩の年間」は特にお気に入りになった。

 

 

 

 

 

 

天皇が変わることは、崩御すなわち、その人が亡くなるまで許されていないらしい。

 

そこを変えるためには、国会なんかで話し合いをする必要があるんだとか。

 

考えれば不思議でもないけど、「そうかぁ」という話だし、世界で唯一の存在はとても大変、というのか、イチ小市民からして、面倒くさい事だらけの一生なんではないかと、邪推したりもする。

 

「日本の象徴」と奉り立てられる存在ですらルールに縛られているのか、なんて考えたり。

 

「ではない」とされるけど、人間なんだから「お大事に」と皆で言ってあげたい。

 

 

 


Noise - 天皇 - 1980

 

 

 

天皇

天皇

 

 

グッド・バイ (新潮文庫)

グッド・バイ (新潮文庫)