お元気ですか?
今日の新聞は天皇陛下のことが大きく見出しになっている。
昭和天皇崩御の際、日本ではテレビの自粛が話題になったと聞く。
私はまだ小学生でもなかったので記憶にないのだけど、例えばこのCM。
井上陽水さんの「お元気ですか?」という言葉が印象的。
糸井重里さんの「くうねるあそぶ。」のコピーと共に、経済大国として日本が大いに賑わっていた時代を見れる、非常にシュールでオモロイCMなんですが、その時、この「みなさんお元気ですか?失礼します」の部分のみ音声が消え、とても気色の悪いCMになったという。
そのことをラジオで教えてくれたみうらじゅんさんが
これは一体、誰のために、何のための自粛なのか、何をどこまで自粛すれば良いのか、テレビ業界の人も含めて、ほとんど誰もわかってなかったんじゃないかな
と仰っていた。
当時、ほとんどのお店が店じまいになり、開けているお店もBGMは消して、店員が喪章をつけて仕事をするなど、なんとも物々しい一日になったと聞きます。
戦後、天皇という存在の認識が刻一刻と変わっていった日本で、それは本当に「誰の為の、何の為の自粛なんだろう?」という気持ちだったことは想像に難くありません。
「自粛とか必要ねーよ!」って言いたいんじゃないですよ。
また、天皇と聞くと思い出す文章がある。
私は天皇を好きである。大好きである。
これは太宰治の「苦悩の年間」にある一節。
ここだけ抽出すると、太宰治=とんだ右翼思想家にされかねないので一応、もちろんそういう文章ではない。とだけ申し上げておきます。
短い作品なので、興味のある方はこちらを。
高校生の頃、「私は天皇を好きである」という一文に随分と感嘆した。
文体や潔さ、時代背景に見る日本の混迷期に1人の作家が挙手した、右も左もない、「新しい自由思想」への想いが込められていた。
この時期の太宰治作品はどれもこれも好きなものが多いのだけど、新潮文庫だと確か「グッド・バイ」に収録されていた「苦悩の年間」は特にお気に入りになった。
天皇が変わることは、崩御すなわち、その人が亡くなるまで許されていないらしい。
そこを変えるためには、国会なんかで話し合いをする必要があるんだとか。
考えれば不思議でもないけど、「そうかぁ」という話だし、世界で唯一の存在はとても大変、というのか、イチ小市民からして、面倒くさい事だらけの一生なんではないかと、邪推したりもする。
「日本の象徴」と奉り立てられる存在ですらルールに縛られているのか、なんて考えたり。
「ではない」とされるけど、人間なんだから「お大事に」と皆で言ってあげたい。