-kemurikikaku-

ママチャリに乗った小っちゃいオッサンの日記

茶菓の愉しみ

 

こんな物が落ちてたらワクワクするけど、ちょっと怖い。

母上様におケーキなど贈答しに。いつもありがとうございます。

 

2018年グスタフ・モーラー監督作品「ザ・ギルティ」を見た。

 

緊急通報司令室のオペレーター、アスガー・ホルムはある事件をきっかけに警察としての一線から退き、緊急ダイヤルの電話番を任されていた。ある夜、今まさに誘拐されている女性からの通報が入る。電話から聞こえる声と、周りの微かな音だけを頼りに犯人を追う。

 

「想像してごらん」とジョン・レノンは歌った。想像は自由で、たぶん、人と同じになることは無いんじゃないかと思う。この映画は電話口の相手との会話劇に終始する。相手の姿はわからないのでオペレーターと一緒に年恰好、現場の様子、集められる情報をひたすらイマジンする。耳からの情報だけでいかに相手に寄り添い、手助けになれるかがカギになる仕事だ。

レビューが1000以上あり、全体に高評価なので軽い感じでみたけど足をバタバタさせて面白がった。

 

この職業に光を当てたのも面白い。緊急ダイヤルに助けを求めてくるのは道で怪我をした人から、バッドトリップしたヤク中、強盗にあった人など様々。アスガーは余裕たっぷり「自業自得だろ」と偉そうに受け答えをする一癖あるオッサン。しかし誘拐事件発生からいきなり正義感に火がつき、緊急ダイヤルの電話番とは思えない首の突っ込み方をしだす。先日見た「雨の日は会えない、晴れた日は君を思う」のオペレーターも業務を超えた関わり方をしていく映画だったが、アスガーが取り扱うのは自販機の故障ではなく、人命に関わるかもしれないのでシャレにならない。めちゃくちゃ勝手なことをし始めるアスガーに観客はどんどん前のめり。暴走する自分をコントロールできないアスガーの過去まで想像しながら、暗中模索のサスペンスが盛り上がる。ついにマッドコップは誘拐事件と別件の緊急ダイヤルを「忙しいからあとにしろ!」とガチャ切り!映ってる人も場所もずっと変わらないのに、すべての現場が確かに見える。

 

電話だけで紡いでいく話をラストまで間断なくワンシチュエーションで。テンポがよくスルスル見られるのだけど、オペレーターがいる部屋に流れてるマッタリとした時間と、通話中の激流のような数分間にすごい落差があるように見えるのも面白い。誰にでもオススメしたい逸品でした。

  

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Netflix版があった。「雨の日は会えない、晴れた日は君を思う」で他の作品も見たいと思ったジェイク・ジレンホールが主演。

 

最近小さな偶然の一致が数ヶ月に渡って起きている。映画絡みの偶然が多発してて、見えてるものを見るんだなと確認するような気持ち。気づくたびiPhoneに雑にメモ。今日も最高の1日でした。明日はもっと最高の1日になるで!

 

 

ほら穴へようこそ

 

ごっつ気になるけど安全性を勘ぐる。

ありそうでないの好き。

 

2016年ジャン=マルク・ヴァレ監督作品「雨の日は会えない、晴れた日は君を思う」鑑賞。

 

交通事故で妻ジュリアが死んだ。しかし夫のデイヴィスは涙ひとつ流れない。何故なにも感じられないのか分からず、デイヴィスは分かるまで全てを破壊することに決めた。21年に逝去した監督の遺作となる。

 

画面から目を離すことなくジッと楽しんで見ていたが、終盤デイヴィスが見つけたメモの意味が分からず、何かを見落としてきたような変な感覚のままエンドロールが終わってしまいモヤモヤ。メモには「雨の日は会えない、晴れた日は君を思う」と書かれてあり、それを見たデイヴィスがなんとも言えない表情をする印象的な場面だ。とても大事なシーンだとわかるが、いまいち意味がわからない。ちょろっと検索すると、誤訳でもないが誤訳らしい。

 

If it's rainy, You won't see me, If it's sunny, You'll Think of me.
「雨ならこの付箋は見ないわね、晴れたら付箋を見て、あなたは私の事を想ってくれる」

Amazonレビューより

 

直訳すれば邦題のままでも正解なんだろうが、これは妻が残した普通のメモで、「雨の日は会えない、晴れた日は君を思う」と詩のように訳すと暗号のように見えると思うけどな〜。不満顔。

 

あらゆることに興味がないデイヴィスが妻の死をきっかけに周りの世界に興味を持ち始める。2週間もの間、水漏れしっ放しで気にならなかった冷蔵庫が「忌々しい」とまで感じ始めたデイヴィス。欠落した感情が身体に戻っていく。ストーリーの中に込められた意味や意図を「気付く」ことを楽しむ構造になっているようだ。ただデイヴィスがなぜ私生活においてのみ無気力になったかは分からない。一流の金融機関に勤めるビジネスマンが冷徹なだけかと、無意識に勝手な解釈をしていたけどどうも違う。結婚をした男は無味乾燥な顔になっていくのだろうか。

 

何かを直すときはまず分解する。心の修理は車の修理と同じだ。まず隅々まで点検する。そして組み直す。

そう言われたことを思い出したデイヴィスは冷蔵庫、パソコン、会社のトイレのドアまでバラバラに分解する。分からない自分の心の違和感を精査し始め、原題の「DEMOLITION ディモリション(解体)」をしまくる。破壊衝動に身を任せてる間は笑って過ごせるデイヴィスの気持ちが分かるような気もする。

 

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映画と関係はないけど、 「宇宙人が来ようと、お化けが出ようと、コロナも戦争も含めて、何があっても俺は明日絶対仕事があるんですよ」とインタビューで答えていたラッパーのSAWさんの言葉がデイヴィスにカチッとハマった。

 

主演のジェイク・ギレンホールがネジの外れた男を怪演していて楽しかった。正確な発音は「ジレンホール」だそうですね。ぜひきんにくんに教えて頂きたい。月に2、3本映画を見てた頃なら気付けたはずの「普通に考えて」みたいな思考をスルーしてしまってる。素直に疑問を持つことをゆるそう。今日も最高の1日でした。明日はもっと最高の1日になるで!

 

 

蓬莱買うてきて

 

 

有酸素運動をしに神社へ。行くつもりが寝過ぎた。明日にしましょ。

 

映画見てぇなぁーでも2時間も見てらんねー、という人に。5分で観れる映画。

アマプラ限定

 

 

夜勤明け、通ったことない道を選んで神社へ。

 

緑のしめ縄が綺麗でした。

 

立ち寄るタイミングが良いのか、この神社はたまたま催しの日に来ることが多い。

 

 

電気がついてる所を見たかった。

ネオン看板良いな。

 

茂みの中の城。

 

20年以上、近場をウロウロしてても通らない道が幾らもある。

高野山とかで見るような巨木があって笑ってしまった。なんにも見えてない、知らないことがわかる。

 

 

胞子飛ばしてぇな〜。ダイエットも板についてきたぼちぼちな日常であります。おやすみからおはようまで、いつもありがとうございます。今日も最高の1日でした。明日はもっと最高の1日になるで〜。

アサシンに用がない

 

鶏ハム期。最初はめっちゃうまいんやけどな〜。

いつもと同じ日常こそ最良の日常。のはず。

 

2000年ミミ・レダー監督作品「ペイ・フォワード 可能の王国」を見た。

 

「もし自分の手で、世界を変えたいと思ったら何をする?」中学1年最初の社会科の授業でシモネット先生は、生徒たちにこれから1年かけて考える課題を与えた。たくさんの生徒たちとちがい、トレバーは先生も初めて見た回答を実行し始める。それは「自分が受けた善意を、別の3人に渡す。受け取った3人がまた別の3人に善意を渡す」というものだった。

 

スピルバーグ作品だと勘違いしていたのは「A.I.」の主人公、ハーレイ・ジョエル・オスメントが出てるからだろう。

後年「恩送り」なんて言葉になって、スピリチュアル系や、ベンチャー・意識高い系の人たちの間でキーワードになっていった印象がある。上手くいけば善いネズミ講が完成するすごい仕組みだ。Wikipediaによると原作者が「治安の悪い地域で車が故障し、それを見て近寄ってきた男2人が親切に修理してくれた」体験から「この善意を他人に回す」という思考が生まれたそう。

 

めちゃくちゃテンポが良く見やすい。たくさんのエンターテイメント要素、社会問題などスムースに織り混ぜ、徐々にテーマが深層へ潜り、シリアスな山場を作りながら4Dで物語が迫り来るようだった。

何年も生徒に与えてきた課題にいつしか先生が向き合うことになっていく展開もいい。いわゆるバタフライ・エフェクトが竜巻になり、まわりの大人たちをオタオタさせ始める構成。本当によくできた話なんだけど、終盤は打ち合わせの段階でスタッフ全員泣きながら、興奮しまくって会議をしていたのでは?と思う展開。最後はちょっとやり過ぎてるようにも感じてしまった。

それでも話題運びの上手さ、続くシーンの濃厚さ、その加減は鼻を膨らませて画面に食い入る楽しさに溢れていた。

 

あと登場人物の顔が印象的だと感じた。ケビン・スペイシー演じるシモネット先生は"ある理由で"と注釈がつく、顔に特徴のあるキャラ設定だが、トレバーやお母さんアーリーン、その他の登場人物も、ひと目見た時に引っかかりのある顔立ちをした俳優ばかり集めてるように見えたのが興味深かった。単純に知らない俳優さんが多いだけなのかもしれないが。

 

きっと日々の暮らしに慣れた人たちは、良くないこともなかなか変えられない。きっと、だから、あきらめる。でも、あきらめたらそれは負けなんだ。

 

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空撮で雄大な自然を車が走るシーンなんてよくあるけど、妙に良かった。

 

伝わるか分からんが「映画見たな〜!」と伸びをしたくなる映画だった。昔は映画館から出るとよく「映画見たな〜」と思ったものだが、最近はそういうこともなくなったなぁ。どうでもいいけど「エイス・グレード」は中3だと教わったが、この映画で「セブングレード」が中1の意味になっていた。どゆこと。今日も最高の1日でした。明日はもっと最高の1日になるで!

 

 

ウロタトモカーオ

 

暴風雨にさらされた。

絞れば水の滴るズボンを見てレイコートの下を買うと決意せし。

 

2018年ジョナ・ヒル監督作品「ミッド90s」を見た。

 

1990年代半ば、母子家庭で兄と3人で暮らす13歳のスティーヴィーは力の強い兄にやられっぱなしで悔しい日々を送っていた。ある日街のスケートボードショップに出入りする歳上の少年たちを見かけ、彼らの自由奔放な振る舞いに憧れたスティーヴィーは仲間に入れてもらおうとする。

 

また好きな映画が増えて嬉しい。緊張感が漂う冒頭を見ただけで「面白い」と直感した。まだ声変わりもしていない、笑い声の愛らしいスティーヴィーは大人の言うことを素直に聞き、ありがとうが言えて、スーパーファミコンで遊ぶ子供。90年代半ばのロサンゼルスでスケートカルチャーを入り口に大人びていく少年の姿を追う、とかそういうの好きやな〜。

 

映画を見ていて体格も内容と酷似した兄との日々が懐かしくフラッシュバックした。神経質に整理された兄の部屋で、スティーヴィーが新しい文化に触れる感動が手に取るように理解できる。子供が家から外へ、好奇心に駆動され、戦々恐々ちいさな社会へ飛び込んでいく瞬間の勇気が映画になっていて興奮した。

 

自意識が肥大して殻の中の自分を自由の身だと思う兄イアン、周りのことをよく見て、しなやかに生きるレイ、10代の光り輝く刹那的な格好良さを体現するファック・シット。お兄ちゃん達の金魚のフンになり、真似をしてついてまわるスティーヴィーがとにかく可愛い。

最初はスティーヴィーの幼い表情がグラデーションで変化する様子に固唾を飲むが、スティーヴィーにとって外の世界の兄となるレイも、少しずつ大人になっていくのがドキュメンタリーのように自然。暑い日差しの下を吹き抜けた風の冷たさまで伝わってくる映画だった。

 

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A-Z順のCDから漂う触れるなよオーラに笑った。兄が開けた扉を夢中で覗いて勝手に学ぶ。

 

なかなか書けずに別の映画を見て過ごした。ストリートカルチャーと人間ドラマの合わさった作風がずっと好きで、古くはナインティナイン主演「岸和田少年愚連隊」から、若い衝動が引き起こす危うさと眩しさの虜だ。今日も最高の1日でした。明日はもっと最高の1日になるで!

 

 

きみは財宝?

 

中学生ぶりくらいに馬鹿デカニキビが出現して困っている。

マスクが触れると痛いし、膿が出るしで絆創膏を貼って過ごしています。

 

1979年柳町光男監督作品「19歳の地図」を見た。

 

どういう具合に生きてったらいいのか、わからないなぁ

19歳の吉岡まさるは上京して適当に予備校へ通い、住み込みで新聞配達をする。日に300件の配達はきつく、契約者たちは口々に勝手なことを言い、自分を疎んでくる。あそこの家には吠えてくる犬がいる、×(バツ)1つ。この家は玄関に赤い花なんか置いてやがる、×2つ、あの家は集金に行けども払わない、×3つ。不満度を×の数で記したノートを手に、吉岡は電話番号を調べて悪戯電話をかけはじめた。

 

世の中が「魔女の宅急便」で盛り上がっていた頃、つゆ知らず青春の鬱屈と無力を叩きつけてくる名作を眺めていた。

対面すると上手く話せない吉岡が、悪戯電話でのみスラスラ悪口雑言を吐き、右翼を騙って脅迫する姿はネット上で行われていることのようだ。行き場のない怒りを歪な形で発露させる吉岡の表情の数々が、胸を打つ寂しげな青春の影に包まれていて素晴らしかった。吉岡を演じた本間優二さんは監督の「ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR」に出演しており、実際に当時暴走族ブラックエンペラーで会長をしていたそう。こちらもアマプラで見ることができる。嬉しい。

吉岡が×印をつけたノートに気に入らない人間の特徴を書き込むシーンでは、いつしか観客も覗き込むように何を書くか注目している。「大ケチ」や「物品要求激しい」とかはまだ分かるとして、「芸能欄しか見ないバカ」、「無教養 死ぬ価値あり」など無茶苦茶なことを書き始めて笑ってしまう。

 

無残な青春物語は70年代のアメリカンニューシネマ的な、出口の見えない暗闇をもがく若者の姿を映しながら、童貞男子のやり場のない怒りに向き合った作品にも見えた。

劇中で何度か吉岡は童貞であることをいじられ、殴り合いにも発展するのだけど、暴れても、金を稼いでも、イタ電をかけ回っても、モヤモヤは解消されない。そこへ蟹江敬三演じる紺野が入れ込む女、自殺未遂の末、身障者になった娼婦マリアが現れる。後半ある騒動の果てに吉岡はマリアを徹底的に罵倒する。

おまんこばっかり大盤振る舞いしやがって、うじ虫みたいに生きてきたんだろ。傲慢だ!化け物だよ!キチガイ!そんな姿で生きるくらいならとっとと死ね!見苦しい!穢らしい!死ね!

節度のない罵詈雑言を浴びせる吉岡に、一部の童貞が母親に内弁慶を炸裂させる瞬間が被った。思春期を過ぎても尚、女性に強く当たる者が一定数いるが上京して独り身の吉岡にとってマリアは絶妙に、ある種不快な存在だったのではないかと見え、童貞男子の幼児性、闇の一部を捉えた見事なシーンだと思った。

 

今作は後年、芥川賞を受賞する中上健二の同名短編が原作になっている。氏は被差別部落出身者で複雑な環境で育ち、町の人を見てきた目線が吉岡まさると同一のものなのが分かる印象的なシーンがある。吉岡が×印を付けているノートにはその家の家族構成や職業、どういうところが気に食わないかが記されているのだが、1度だけ、気に食わない所が書かれなかった家があり、それが「三味線を作る人」と「あんまさん」だった。古くから按摩は全盲の方がされていた職業なのは「座頭市」などで知ってる方も多いと思う。そして三味線の皮を作っていたのは被差別民の人たちであり、犬や猫の皮を使って製作していた歴史がある。現在も奏者は人間国宝になれるが、製作者がなれないのは差別であると、講演をしている方がおられるのは意外と知られていない。微かに敬称が付いているところに仲間意識が見え、この目線は被差別部落出身者であることで生まれる血の通った表現だろう。

 

youtu.be

これを見てスルーできる人もいる。

 

この時代特有のものなのか、お札をクシャクシャにして持ってるのが好きだ。俺もクシャクシャにして持っていたい。先週、大阪九条のシネ・ヌーヴォ柳町監督が来場し、映画を上映していたことをあとから知った。最近は感染対策が身に染みすぎて、この手の機会をはじめから無いものと思ってしまっている。今日も最高の1日でした。明日はもっと最高の1日になるで!

 

十九歳の地図